「福生寺」 開基について『紀伊風土記に』によれば至一上人の開基で這い上り寺となっている。(上人自画の弁財天像をおさむとある)至一上人は、鎌倉時代末から南北朝にかけ活躍した僧である。西川原村の北田三郎太夫の娘が男の子を生んだが、不義の子として認められず、粉河寺の鳥居の近くに捨てられた。「子どもは坂を這って上がったのでそのあたりを「這い上町」という珍しい地名になった。誓度寺の主がその子を養育。のちに法灯国師(由良興国寺を開いた禅僧)が粉河寺大門供養に来た時、所望して弟子として、至一と称した。鎌倉でも活躍した高僧といわれる。ただし、至一が「這い上り寺」を開いたというのは、この『続風土記』以外に資料はない。至一の生まれた年月も不明である。伝承と思われる。 江戸時代 @「粉河村検地帳」 ・慶長六年(1601)には「這い上り、惣寺」と記されている。 ・元禄十年(1697)では「福生寺」と記されている。 A「粉河組、寺社書上」(藩寺社奉行へ差し出した寺社の改め帳) ・寛文一二年(1672)「真言宗、福生寺」とあり、本寺に若宮明王院に頼みたいと記している。 ※若宮明王院は、和歌山市有本にあり、若宮八幡神社の神宮寺であった。古義真言宗、京都山科勧修寺末の寺であったが明治維新で明王院は廃せられた。 |
北向厄除大師
お知らせ・最新情報
● 彼岸中日卒塔婆供養について
春秋の彼岸は日本にしかない仏様特別の供養の期間です。この良き日にご先祖さまのトウバ供養を是非とも申込みください。尚、供養の後トウバを持ち帰り家族の皆様とお墓参りして頂くのが一番いいと思います。又、遠方の方は寺にて供養します。
●彼岸中日トウバ供養法会●永代供養・土砂加持法会●お砂踏み修業
弘法大師のあしあとをめぐる
四国八十八ヶ所お遍路体験
平成23年2月18日(金)に開催いたしました
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● 初弁才天・不動護摩祈祷会
1月7日、午後1時半より新年初弁才天不動護摩祈祷会を厳修致します
当山の弁才天は弘法大師将来の秘仏江ノ島弁才天であります。弁才天は福徳知恵をつかさどり、学業の向上や音楽の上達、また財を授け給う福の神です。
● 福生寺弁財天祭 |
アクセス
【Googleマップ・周辺地図】 ・粉河駅より北に徒歩8分・右折すぐ 【和歌山線時刻表】 ・電車:<和歌山線>和歌山駅より40分:橋本駅より35分 ・バス:<阪和線>熊取駅前より45分 【福生寺近くの旅館】 お宿は丸浅旅館 |